SNSで議論すると

facebooktwitterはやっぱり「人種のるつぼ」ではなく「サラダボール」であるアメリカ的だなぁとつくづく思う今日この頃。自分と好みや価値観の似通った友達やフォロワーとしか交わらないのってどうなんだろう。 何か勘違いが生じるんじゃないだろか。

と、facebookに書いたら、賛同の声が。そして、議論には向かないという意見もいただいた。

ところが私は実、twitterfacebookって意外に公開討論に向いているんじゃないかと思うんです。

ネット上だろうとリアルだろうと、一部の人達はディベートを誤解してて、相手を言い負かしたら勝ち、オレの方が頭いいだろドヤ、って思いたいが為に絡んでくる人がいるみたいだけど、ある問題について立場が違ったら、見方も異なるし意見が違うのは当たり前で、相手を言い負かそうったってそもそも無理。大人であれば尚更、意見が変わるわけない。日産の社員にトヨタ車を売りつけようとするようなもの。

SNS上の公開討論の意義は、聴衆(読者)の存在にあると思います。直接的利害関係のない人が議論を聞く(読む)ことで問題意識を持ち、自分で考えて行動するきっかけになればなんと素晴らしいことか。

しかも、twitterfacebookの長所は、議論されてるシングルイシューそのものの是非だけでなく、発言者の付随的情報が露呈されるので発言の信憑性がトータルに判断できるところ。以前の書込の頻度や内容の性質、一貫性などで、発言者の人間性が透けて見えます。「◯◯大学教授」とかの肩書きの下の地が出てしまう。橋下さんの例でもわかるように、過去ログたどると誤魔化せない。その場凌ぎの綺麗事で嘘ついてるのがすぐにバレちゃう。


ところで、税金から生活費もらってる議員は、日々の活動報告をFBなりブログなりで公表するのは公僕の最低の義務だと思うけどね。