「あまちゃん」終わった〜

車窓から見える、外で手を振る人の姿はどうしてこんなにも感動的なんだろう。

今朝の「あまちゃん」最終回、私には北鉄再開を喜ぶ地元の人達の手を振る姿が一番泣けた。

3.11のために自粛した九州新幹線開通の受賞CMも、沿道の人々のそれぞれ趣向を凝らした、あるいは素朴に手を振る姿に、ただただ心をうたれた。

山を越えて見知らぬ街へ旅立つ人に故郷に残る人が送る、元気でいてね、の祈り。

もちろん、徒歩でも自動車でも、別れと見送りは感動的な場面だけど、鉄道は、「この線が東京に繋がっているんだ」が、より可視化され分かりやすい。鉄道って凄いかも。出港する船の紙テープは、切れちゃうのが切ない。


それにしても、沿道の声援のチカラ。

ラソン選手だって何もないところをただひたすら走るより、知らない人でも沿道から聞こえる声援が元気の源になるはず。

以前、ウグイス嬢で選挙カーに乗ってた時、知らない人でも手を振りかえしてくれる人がいると、候補者でもないのに嬉しかった。候補者本人は、この人達のために頑張るぞ、とさぞかし決意を新たにしたに違いない。

雅子さまも、もっと外に行くといいのに。車から沿道の人に、腱鞘炎になるくらい手を振り返したらきっと元気になれると思うよ。

三宅洋平を知っていますか。

日本人が日本語でする演説に泣いたことはありますか?

私はなかったです。

映画「スミス都へ行く」のジェームズ・スチュアートや、小説「水源」の中でのハワード・ロークの法廷での演説や、オバマ大統領や、1992年の環境会議でのカナダ人の12歳少女セヴァン・スズキなど、英語での名演説に心をゆさぶられたことは数々あれど、日本語では、残念ながら、ないな。この三宅洋平を知るまでは。


今回、この三宅洋平という34歳の青年が、参議院比例代表区に立候補していると友人から聞き「誰それ?」だった私は、この演説を見て、ガーーーーーん!
やられちゃいました。弱冠34歳。俺たちバブルも知らないから、お金なんかなくても幸せtになれること知ってるぞ!


単純に、この34歳の三宅洋平青年の演説に感動したので、シェアいたします。
日本にもここまで素晴らしい演説ができる若者が登場したことが単純に嬉しいんです。

例えばこんなこと言ってます。

Even after all the murdering
Even after all the suffering
I love you so
Soldiers, survive!
(襲われた村の民衆が自分達を殺した兵士に「それでも生き延びろ」という歌の紹介)

どんなに悪いヤツの人生だって、生ききった人生のエンドロールは美しいんだよ。
俺たちバブル以後の世代はお金がなくても幸せになる方法、いっぱいみつけちゃったんだ。見えない富でジャラジャラ。それを教えてあげたいんだ。


絶対に争わない。その代わり、話し合う。
ユーモアと頓智、一呼吸置いて、語りあいましょう。
平和はお茶の間から始まる。まずは家で語りあおう。
自分の本質を語り、伝えよう。
語れ、語れ、語れ!


この続きは、是非、国会議事堂の中で聞きたいです。

http://www.youtube.com/watch?v=9pm0Q8iJmy4

フレッシュジュースダイエット

今年になって今日で五日目。元旦に始めて今日まで毎日続いていることがあります。それは、フレッシュフルーツジュース。


うちでは、もうこの20年くらい、有機野菜のポカラから毎週食材を届けてもらってるのですが、外食が続いたりすると、その食材が残ってしますことがあります。季節の旬のものを届けてくださるので、しばしば同じものが続くこともあり、その場合も、やはりたまりやすいです。暮れに冷蔵庫をみたら、お歳暮でもらったのもの含め、やたらにリンゴがごろごろ沢山入っていて、それはそれで嬉しいことなのだけれど、なんか、早く食べないとまた来週来ちゃう。


なんという罰当たりな贅沢な物言いをしているんだろうと自分でも恥ずかしくなりますが、事実、同じ食材がたまると、「ありがたくいただく」というより「無理にでも食べなきゃ」と本末転倒な精神の倒錯が起きてしまいます。最悪の場合、冷蔵庫の奥の方に押しつぶされているかつて果物だった干からびた物体を処分したことも一度や二度ではありません。神様ごめんなさい。


そこで、今年はとにかく、美味しい食べ物を美味しくいただく、ということを年頭に決め、それを今のところ実行しているのであります。


非常に簡単です。イワタニのミルサーに、小さく刻んだ果物と野菜とヨーグルト少々と乳酸菌飲料のラブレと氷を入れ、ガーッと回し、出来たのを飲むだけです。タイミングは朝の朝食にが一番いいんでしょうが、それが無理ならいつだっていい。小腹が空いてお菓子をつまむ変わりにジュースを。


すると、その効果が既にてきめんに現れ始めました。とにかくお通じがいい!!
お腹に溜まっていた食便もごっそり出たせいか、お腹が凹み、体重も1?減りました。あらまあ!身体の中に、本物の酵素が行き渡り、気のせいか、あまり疲れも感じません。いつまで続くかわかりませんが、しばらく、やってみたいと思います。



「寒の水」という言葉があります。この寒の内に身体に水分を補給しておくと夏から秋に病気にならずに乗り越えられるのだそうです。フレッシュな果物と野菜から、本物の水をとりいれて、2013年、元気に乗り切っていきたいものです。

SNSで議論すると

facebooktwitterはやっぱり「人種のるつぼ」ではなく「サラダボール」であるアメリカ的だなぁとつくづく思う今日この頃。自分と好みや価値観の似通った友達やフォロワーとしか交わらないのってどうなんだろう。 何か勘違いが生じるんじゃないだろか。

と、facebookに書いたら、賛同の声が。そして、議論には向かないという意見もいただいた。

ところが私は実、twitterfacebookって意外に公開討論に向いているんじゃないかと思うんです。

ネット上だろうとリアルだろうと、一部の人達はディベートを誤解してて、相手を言い負かしたら勝ち、オレの方が頭いいだろドヤ、って思いたいが為に絡んでくる人がいるみたいだけど、ある問題について立場が違ったら、見方も異なるし意見が違うのは当たり前で、相手を言い負かそうったってそもそも無理。大人であれば尚更、意見が変わるわけない。日産の社員にトヨタ車を売りつけようとするようなもの。

SNS上の公開討論の意義は、聴衆(読者)の存在にあると思います。直接的利害関係のない人が議論を聞く(読む)ことで問題意識を持ち、自分で考えて行動するきっかけになればなんと素晴らしいことか。

しかも、twitterfacebookの長所は、議論されてるシングルイシューそのものの是非だけでなく、発言者の付随的情報が露呈されるので発言の信憑性がトータルに判断できるところ。以前の書込の頻度や内容の性質、一貫性などで、発言者の人間性が透けて見えます。「◯◯大学教授」とかの肩書きの下の地が出てしまう。橋下さんの例でもわかるように、過去ログたどると誤魔化せない。その場凌ぎの綺麗事で嘘ついてるのがすぐにバレちゃう。


ところで、税金から生活費もらってる議員は、日々の活動報告をFBなりブログなりで公表するのは公僕の最低の義務だと思うけどね。

昔のお正月は大勢で祝った

15年程前は、元旦が明ける時に携帯電話の使用が殺到するから控えるように言われたものだが、それが「あけおめことよろ」のメールになり、今年はfacebook上のチャットで新年を祝いあった。

私の年代になると、中には子どもが独立して夫婦二人だけ、という友人もいるが、皆が口をそろえて「昔は賑やかだった」と書き込んでいた。

確かに私達が子どもの時の昭和の時代の「お正月三が日」は、特別なイベントだった。テレビのニュースも混雑した美容院でこの時の為に日本髪を結う女性を風物詩のように映していた。子どもも、新しい下着をおろし晴れ着を着て初詣に行ったものだ。いつの頃からだろう。お正月に晴れ着を着なくなったのは。

近代化が進めば古い習慣は消えてなくなっていくものだろうけれども、自然と共生してきた日本人が節句を祝うのを忘れるのは、背骨が骨抜きにされるようなもの。節句全てを事務職の仕事を中断してまで祝え、というのも極端な要求で現実的ではないけれども、農耕民族であった日本人が農業、とりわけ米作りを疎かにしてきた事と、節句の代表的な正月をお祝いしなくなったのは、リンクしているのかもしれない、とふと思った。根拠は得ていないのでリサーチが必要だけれども。

「パンク歌舞伎・逆夢」観るといいよ。

2012年12月21日でマヤ暦の5200年周期とその大周期2万6000年が終結する。そしてこの同じ日に初日を迎えるものがある。

名古屋能楽堂での「パンク歌舞伎・逆夢」。 ハラプロジェクトとタートルアイランドのコラボの3年目。2010年は「マクベス」、去年は「リア王」とシェイクスピアが2年続いて3回目の今年は、日本の創世記「古事記」。

誰が仕組んだかしらないが、今年は「古事記」の編纂から1300年目。そしてその古事記の最古の写本(国宝指定)が保存されている大須観音は開設400年目を迎える。

何コレ?数オタクでなくても、この「偶然の一致」を、ただの偶然と無視できる? 26000、5200、1300、400、20121221、3...

私は昨夜ゲネプロを観てきましたが、見終わって、何というか、今やってくれてありがとう~、っていう感謝の気持ちが湧いて来ました。私、昨日、ゲネプロを観てきて、風邪が治ったんです。

twitterfacebookもタイムラインには、自民党圧勝を受けて、暗い話ばかり。選挙の結果は結果でもう過去の事。今は次の参議院選挙に向けて「賢い作戦」を練り始める時なのに、みんな「ショック・ドクトリン」にやられちゃってる感じで、過去をほじくり返しては憤慨してますますストレス溜め込んでく。

で「パンク歌舞伎」だ。 能楽堂という結界に身を置いて、耳をつんざき肚に響く音が身体を通過し、眩いばかりの若い人間のうごめく姿を目の当たりにし、私は邪気祓いができました。 

一足お先に呪いが解けた感じです。
マヤ暦の5200年周期が終わって新しい暦がスタートしたからか。
冬至が過ぎて分岐点を過ぎたからか。

主要因は何でもいいわ。とにかく、スッキリしましたの。

お神楽。おかぐら。神様を楽しませること。
三波春夫は言いました。「お客様は神様です。」
芸能の起源は神への奉納。

演ってる方はそんな意識はないかもしれないけど、いや、変に何かメッセージを伝えようとかそういうのが無いからこそ、私には、ズドーンと来た。

今回の「逆夢」はシェイクスピア劇とは違って、名セリフを聞かせる、というタイプの演劇ではない。 次から次へと、若い人達が、その身体と声で劇場空間全体を震わせていく。 それにタートルアイランドの奏でるシタールや太鼓が発する私達アジア人の根源をくすぐるような音色とリズム。

あの場にいると、掛けられた呪いが、体内に溜まった毒素がブルブルブルって震えて、スッコーンって抜けていけるの。

「パンク歌舞伎鑑賞」は、体調が優れない方には、オススメのちょっと過激な健康法です。

天照大神は見てくれています。
天の岩戸開きはもうすぐそこ。

希望をもって生きていくぜ。

http://www.turtleisland.jp/?cont=news&date=2012-12-12

御園座顔見世に行ってきた

*襲名披露なのになんで暗い演目ばっかり?

今日は御園座に顔見世興行昼の部に行ってきた。勘九郎の襲名披露というので、どんな賑々しいものになるかと楽しみにしていったら、ちょっとびっくり。みんな人が死んでいく暗~い演目ばかり。「八重桐廓噺」「蝶の道行」「伊勢音頭恋寝刃」。なんでこんな見終わって鬱々とした気分になるラインナップにしたんだろう。お父さんが病気だから?海老蔵の時は、昼が「光源氏」夜が「助六」で派手にやって、いかにも前途洋洋って感じだったよ。やっぱお父さんは白血病だったけど。

しかし行ってよかったのは「伊勢音頭恋寝刃」で菊五郎女形が見れたこと。しかも敵役の仲居。いや~、凄かった。すっごく楽しそうに演ってらした。これからこの路線を増やすのかしらん。それとも襲名披露の大サービスだけ?菊之助も益々いい女。姿はまあまあキレイでもヒキガエルみたいなしゃがれ声だされるとがっかりする女形が多い中、ほんとに貴重な艶のある声。今日は完全に音羽屋父子が主役を食っちゃってた。

仁左衛門さんも飄々とした料理人の役をこれまた楽しそうにやってらした。菊五郎仁左衛門といえば数年前、南座でやった「身替り座禅」が良かった〜。仁左衛門菊五郎も二枚目なのに芸の幅が広い貴重な存在。いつまでも元気で芸を見せて下さい!

昼も夜も、勘九郎の出る3本めだけが見られる割引料金があるんですって。菊五郎の仲居を観にもう一回行ってこようかなぁ。
http://www.misonoza.co.jp/