中日みたゃよぉ、よわゃ〜でかんわ

veatrice2012-04-09


昨日4月8日は一日中花見で忙しくテレビを見る暇がなかった。twitterで結果だけ見たら、案の定ドラゴンズは悲惨な負け方をしたらしい。見なくてよかった。

私がドラゴンズの試合を熱心に見るようになったのは、落合監督が就任してからである。8年間に6度の優勝をするような「勝てるチーム」にしてくれてからである。

応援団のような特別な人達は別として、一般の「合理的ナゴヤ人」は、わざわざ金を払って、時間を割いて、足を運んでまで鑑賞する娯楽には、必ず何らかの見返りを期待する。スポーツであれば勝利。贔屓チームが勝てば気持ちがいい。気持ちの良さが味わえる勝利の確率が高い試合なら観に行く価値があると判断する。しかも、観戦、鑑賞は「どこかから回ってくるタダの招待券で行く」という慣習も強いので、よほどの愛好家でない限りなかなか身銭は切らないが。


同じことは舞台芸術一般の鑑賞姿勢についても言える。才能のある若い無名のアーチストを発見し、成長していくのを見守り成功を応援する、な〜んてことに興味のあるナゴヤ人は、まずいない。ナゴヤ人をコンサートや演劇に誘う時、必ず聞かれる言葉は「その人有名?」有名ブランド劇団なら楽しませてもらえるはず。損は無いだろう。原石磨きには興味がない。劇団四季なら行く。


若い役者が成長するには、目の肥えた客に観てもらい的確な反応をしてもらうことが必要。客が役者を育てる。しかしナゴヤには、自分の知らない劇団に飛び込みでお金を払ってまで観にいく奇特な粋人はまずいない。客はほとんど「身内」か同業者。「よかったよぉ〜」と褒め合い「愛のムチ」的キビシイ劇評は耳に入ってこない。結果的に役者も劇団も勘違いし成長することもない。蛸壺集団がやたらにたくさんできる。名古屋では芸術家は育たない。

話がそれた。昨日に続きドラゴンズのことを書こうとしていたんだった。

もとい。今年私は、今のままのチーム状態ならテレビで試合を観る気は起こらない。ましてや金払ってまで球場に行く気などさらさらない。私は「合理的ナゴヤ人」。いい気分になれないものに、なんで自分の貴重な時間とエネルギー使わなかんの。せっかく「勝者のメンタリティ」を身に纏い始めた選手達が気の毒でならない。頭に浮かんでくるのは、この才能のある若者達の潜在能力を押し潰す無能な指導者達への怒りばっかり。


スポーツや芸術を鑑賞する醍醐味は、選手やアーチスト達の人間離れした技を観て魂の震えを味わえること。「人間はやればあそこまでできるのか」という人間讃歌。その忘我の恍惚が味わえるからこそ、スポーツや芸術は鑑賞する価値がある。そうでないなら、見る必要なし。

嘗てドラゴンズは「ドベゴンズ」と自虐的に呼ばれる時代があった。名古屋出身の直木賞作家清水義範氏の名作「蕎麦ときしめん」の中にも名古屋駅でタクシーに乗車した東京からの客と運転手の会話の場面がある。東京からの客には「まぁよぉ、ドラゴンズみたゃ、弱い(ょわゃ〜と発音する)でかんわ。(いけないです)」が挨拶がわり。ドベゴンズは「弱い」というのがデフォルトで、実際の試合内容とは関係なく「ほぉ〜んなもんよぉ、打ってぇせんもぉ、勝てすか。(勝てるわけがない)」と、酒の肴として悪口をいう対象としての存在価値が大きかった。

このような弱いドベゴンズの方が安住できるメンタリティをお持ちの「ジョイナスドラキチ」の皆様におかれましては、また悪口を言いながら不味い酒の飲める楽しいシーズンが始まりましたね。


あああ、こんな皮肉めいたこと書く気じゃなかったんですが。
選手達にはこのつらい時期を耐えて忍んで、がんばっていただきたいものです。