名大の黄金期 1960〜70年代

ノーベル賞に関してのテレビニュースで、インタビューを受けていた現役の名大教授のどなたかが、「1960年から70年代は、名大の黄金期だった。」という主旨の発言をなさっていた。

今年の夏頃、同じ職場の先輩講師が「今年は名大の俺の知り合いがノーベル賞を取るぞ。もっとも、今までも何度も候補に挙がっていたから、最後までわからないが。」と言っていたのを思い出した。私は真に受けず「はあそうですか。とれるといいですねぇ。」と聞き流していたのだが、本当にとってしまった。

彼は1945年生まれの団塊の世代。名大の文学部に在籍していたのはまさにこの「名大の黄金期60〜70年代」。学生運動の時代だ。おそらく、学生どおしの横のつながりが強く、学部の枠を越えて、酒を飲み交わし、夜を徹して、議論し合っていたに違いない。

名大の学風は「自由闊達」と報道されているが、一番新しい帝大に集った教授陣がその学風をつくっていったのかもしれない。そういえば、名大出身の60代の予備校講師達は、益川博士と同じく自分の事を「○○先生」と呼ばれるのを嫌う。

物理の「坂田研究室」や化学の「平田研究室」が今回有名になったが、文系の教授陣も各分野の一線級がそろっていた。今では80歳代後半になるその名誉教授達を囲んで、還暦過ぎの元教え子の予備校講師達は今でも「研究会」を開いている。哲学の中川久定氏、経済の水田洋氏、塩沢君夫氏。もう亡くなったが、網野善彦氏や真下信一氏に学んだ弟子もいる。

彼らは予備校という道を外したところで、いまだに半分学生気分で自分の好きな事が研究でき幸せだが(学会で発表するわけではないので「業績」にはならないし「賞」もとれないが)大学の世界に就職した同窓生達は大変らしい。2004年からの大学の独立法人化で「研究どころではない」状況があるのだそうだ。「食っていけない」学部は受験生という「客の入り」が悪い。教授が「営業マン」をしなくてはいけない。

名大に限らず、大学の「黄金期」は、そこが科学の基礎研究や哲学、文学の議論に没頭できる場である時にやってくるだろう。今回の受賞が制度と意識を変える良い機会になればいいと思う。