飯島愛とイエス・キリスト

veatrice2008-12-24

今日は、中学時代の恩師、磯和先生の葬儀だった。
私は仕事があって出られなかったが、昨日通夜に参列した同級生によると、92歳でも眠るような美しいお顔だったそうだ。

磯和先生は、今から35年前、私たちを教えて下さった時すでに、俗世の油っぽさが一滴もない枯山水のような佇まいをなさっていた。どんな経緯でカトリックの女子校の国語教師になられたのか知る由もないが、元神主でいらした。他の多くの教師達と同じく、ある意味、人間離れした方だった。

磯和先生の国語の授業で新しい単元に入ると、教科書の文章を指名された生徒が音読するのだが、先生はその途中、居眠りを始められる。細い背筋はしゃんと伸びたままなので分かりにくいが、確かに眠っておられる。私達は、安眠をさまたげないように、なるべく同じ音調で教科書を読み続けるように心がけた。

授業内容は何一つ覚えていない。「論理的読解」だとか「背景知識」だとか「論述問題のテクニック」だとか一切教わらなかった。磯和先生の教育理念や哲学の「熱い語り」も一度もうかがったことはなかった。しかし私達は、磯和先生が好きだった。35年経ってもお通夜に行こうという気持ちになるほどに。

磯和先生の魅力は一体何だったんだろう。やっぱ、あの生き物離れした「墨絵っぽさ」かな。竹林の聖人。激しい情動や気分の浮き沈みに翻弄される人間くささから、遠〜く離れたところで、いつも「はっはー」と笑っていらした。

磯和先生だって、ひょっとしたら若い時には、戦争や宗教の事で、苦悶された時期もあったかもしれない。しかし、私たちの前では、即身成仏して生き返ってきた「竹の精」のようだった。私たちは子供心に「人間はあそこまでなれるのだ」という一つの希望を見いだしていたのかもしれない。その磯和先生が92歳で大往生なさった。


飯島愛さんが亡くなった。36歳だった。これからなのに、と惜しむ声は多いだろう。家族や友人は悲しむだろう。しかし、彼女本人はもう十分生ききったのではないだろうか。

豊かな感情と才能がリンクして人々に感動を与えて、30代後半でこの世を卒業していった人は多い。モーツァルト宮沢賢治マリリン・モンロー、ダイアナ妃。早逝するとその分、語り伝えられる時間は長くなる。彼なんか、2000年経った今でも何十億人に誕生日を祝ってもらってるじゃないですか。


ジーザス・クライスト。
磯和先生と飯島愛さんが、そちらに行きますのでよろしくお迎え下さい。

メリークリスマス。