真の利他主義は利己主義

veatrice2009-01-08

小学校6年の時、クラスで「今週の目標」というのを決めて、後ろの黒板に書いていた。大体は担任の誘導で決まっていくのだが、私が提案した目標が、2週連続採用された時があった。これは「2週連続」というのに重大な意味があった。

ある週の目標:「人のいやがることはやめましょう。」スカートめくりとか掃除当番をさぼるとか、人のいやがる事は、やっちゃだめだよね。

翌週の目標: 「人のいやがることをすすんでやりましょう」たとえば、掃除当番の後のゴミ捨てとか、みんながやりたくないことを率先してやるのは大切なことだよね。

以上の二つの文章を、二週連続教室の後ろの黒板に書いてもらった私は、非常に満足だった。対象となる名詞は同じもので、述語部分の意味は真逆なのに、いずれも「善行」として学級目標になりうること。子供の時からこういう皮肉れた子で、言葉や数字を転がしては、ああでもない、こうでもない、と一人で考えていると楽しかった。40年近くたって、50歳の大人の今でも根本的なところでは、変わっていない。

さて、利他主義と利己主義は同義とは。どちらの主義者からも「一緒にされるなんて、とんでもない」と言われそうだが、私の中では、どちらも突き詰めていったら、お互いがお互いにぶつかる、と思われてならない。たとえば「利他」の「他」の最大値は「世界中の人々」だ。利他主義の最大値は世界中の人々の幸福を願うことだ。そんな夢物語の完全なる実現が近い将来には不可能だとしても、近づくことだけならできるかもしれない。

この件に関しては、2008年11月にオノ・ヨーコさんが、母校の学習院女子大で講演された概要を載せてこの場を振り逃げ
引用:
11月26日学習院女子大学での講演会で、オノヨーコさんは「みんなが自分らしく生き、それに充実感をおぼえていれば世界は平和になる。」と語った。「幸せって何ですか」という質問に「一番大事なのは自分がしたいと思うことをして、それに罪悪感を感じないこと。」と語った。
引用終わり:

でしょ。さすが。「自分らしく生きる。自分がしたいと思うことをして、それに罪悪感を感じないこと」って、普通「利己主義」って言われない?だけど、オノヨーコ曰く、それが「世界平和」につながるという。
さて次は、勝間和代さんが「わがままのすすめ」をしていらっしゃる点をご紹介したいと思います。